3.被災地支援報告 第2弾

活動趣旨

今回の支援活動に関して、様々な検討を行いました。
直接物資を送るべきか、日本赤十字などの団体に寄付を行うべきか、ボランティア活動などを弊社でも行うのか、、、。
物資に関しては、第1弾の視察で豊富にあるとの報告があり、また問い合わせを行っても受け入れられないほどの物資が届いているとの情報もあり除外しました。
団体への寄付に関しては、賛否両論だったのですが、実際にどれだけの金額が地元に届いているのかが不透明だとの意見も多く、それであれば弊社で独自にボランティアを行い、直接役場などに支援金を届けるのがベストではないかとの結論に至りました。
ボランティアを行い支援金を直接現地に届けることで、皆様からの支援金と弊社からのマッチング募金を十分生かせるであろう事と、現地に入るスタッフも休みを返上してボランティアを行いたいという有志である事、会社としても仕事の一環として送り出すことでさらに貢献できるのではないかとの結論に至りました。
今回の活動につきまして、何卒ご理解を賜りたくお願い申し上げます。

日程:平成28年5月21日~24日 参加者:クーコム(株)社員5名 【支援金】  南阿蘇村 250,000円  西原村  250,000円  益城町  500,000円  合計  1,000,000円 【支援活動費】  宿泊費   51,675円 (5名:5月22日、23日泊)  交通費   171,000円 エアー&ホテル費(5名:5月21日泊)     17,267円 その他交通費     33,696円 レンタカー費  作業用品及び保険費     22,120円  合計   295,758円 5月21日(土) 10:00 熊本空港に到着。 日産レンタカー熊本空港店でレンタカーを借り、西原村へ向かいました。
10:00 西原村ボランティアセンター到着。 ボランティアの受け付けは午前9時までと聞いておりましたが、ボランティアスタッフに空きがあれば参加する計画でした。 しかし、本日は既に終了していたので、南阿蘇村役場に支援金を届けに向かいました。 西原村も、全体的に屋根のブルーシートが目立ち、山裾の家屋の倒壊が激しく、道路も寸断された箇所が多くみられました。
南阿蘇村へ向かう途中でアクシデント発生。 崩壊した阿蘇大橋の近くの立野地区迄は通行できましたが、道路が寸断されており、南阿蘇村役場まであと14キロ地点で通行止め。仕方なく熊本空港の近くの大津町まで戻って、30キロ以上も遠回りし、やっと南阿蘇村役場に到着しました。
役場では、わざわざ副村長の市原様が御対応くださり、名刺交換をさせていただき、会員様からの御心をお伝えすべく「弊社は東京のインターネットの旅行会社で、熊本大地震の被災者を応援しようと100万人以上の会員様に呼び掛けたところ支援金が集まりました。当社からの支援金を合わせ、少しでもお役に立てればとお届けに参りました。また、今回は第2陣としてボランティアにも参加させていただく計画で、5月24日迄お手伝いさせていただく為に来ました。」と説明の上、支援金25万円の目録をお渡しいたしました。
その後、再度遠回りし、17:00頃に熊本市内へ到着しました。 市内は、見た目は被害を受けているようには見えませんが、良く見ると黄色や、たまに赤色の紙が貼ってあるので、古い建物は確実に相当な被害を受けている様に感じました。 また、熊本城への入園は禁止されていました。何度もテレビで映されている石垣の一本柱の櫓や周りの石垣、塀など、外見的には、熊本城の被害が一番大きい様です。
18:10 熊本市内やその周辺で宿泊施設が取れなかったので、本日の宿泊先の佐賀県鳥栖市へ向かいました。 熊本市内からの高速入口は今も閉鎖中で、阿蘇方面からの入口より高速道路に入り、1時間半後の、19:40 鳥栖のホテルに到着。 初日を終了しました。 5月22日(日) 6:00 ロビー集合。 朝食後の6:20頃、本日の目的地である御船町に向かい出発。
高速道路は全く混んでいませんでしたが、一部区間が閉鎖されており、片側2車線を双方向で使っている為、その区間のみはノロノロ走行でした。 7:40 御船町災害ボランティアセンターに到着。
8:30頃から受け付け開始。本日の必要人数は117名とのこと。 すでに、多くのボランティアの人達が集まっており、バスをチャーターしてきたグループもいました。
センターには、ボランティア活動に必要なもの、例えば軍手やゴム製の手袋・ヘルメット・防塵マスク・靴のインナーソール・ゴーグル・タオル・飲料水・一輪車(ネコ)やスコップ・ハンマー・バール(くぎ抜き)などの資材も豊富に用意されて、自由に使って良いとの事でした。 現地にご迷惑をかけないために、ヘルメットやゴム手袋その他を用意して行ったのですが、比較的物資は揃っておりました。 また、スタッフ受付けや手配・説明などの各担当者も非常に手際が良かったです。
本日の我々のボランティア活動は、民家の瓦礫撤去作業で15:00迄作業をし、16:00にはセンターに戻ってくる予定で現場へ向かいました。
9:30頃、現場に到着。 我々5名と他の5名の計10名のチームでしたが、他の5名(2名・1名・2名)の方はボランティアの活動経験が豊富なようで、瓦礫撤去の祭に必要な道具などを選んでもらい、作業に向かいました。 また、経験豊富な1名の方に、我々のチームリーダーになっていただき指示を仰ぎ作業開始。 現場の民家の屋根瓦は殆んど落ちており、全く住める状態ではありませんでした。
私たちは、リーダーの指示に従い、先ず民家の目の前の道幅を確保する為、向かい側の民家の崩れた塀の撤去作業から開始。気温は、ぐんぐんと上昇、昼前には既に30度になっており大変な作業になりました。
ブロック塀は横倒しになっていたので、撤去する為に、ハンマーで細く砕き割った上で、軽トラックに積載。軽トラックはボランティアセンターが用意したもので、数回に分けて、ゴミ集積場へ運びました。
ブロック塀の片付けを終了した後、昼食休憩となりお弁当を買いにホットモットへ行きましたが、多くのボランティアの人達や地元の人達も買いに来ている様子から、恐らく炊事も未だ満足に出来ない家もあるのかと思われました。
我々は、地元の方の食事にご不便をおかけしないようにお弁当は諦め、コンビニのおにぎりなどで済ませました。 昼食後、民家の砕けた瓦の撤去を開始。
瓦の撤去後、次は屋内にあった物で、壊れた箪笥やガラス類、プラスチック類、木製類、食器などなどの撤去作業を行いました。
13:00頃に予定の作業を終了しましたが、隣の民家の老夫婦からも瓦礫の撤去を依頼され、ボランティアセンターへ連絡し、了解を得てお手伝いをさせて頂きました。 13:50頃、こちらの作業も終わり、一旦ボランティアセンターへ戻り、次の現場に向かう為待機していましたが、本日は これ以上の作業はないとの事で、我々のチームは解散となりました。
14:30 本日のボランティア活動は終了し、熊本市内から南下すること50キロにある宿泊先の日奈久の旅館宝泉に向かいました。 途中、熊本市内から40キロ地点にある八代城にも立ち寄ってみましたが、石垣の一部が崩れており、ブルーシートが掛けられており被害地域の広さに驚きくばかりです。
16:40 旅館宝泉に到着。 旅館宝泉も被害にあっていて、浴場の壁のタイルが剥がれ落ち、余震が来たら、また崩れる恐れが有るので、今は浴室を閉鎖しているとのことでした。 5月23日(月) 6:00 ロビー集合 朝食後、6:30 出発 宿泊費精算時に、女将さんに「我々はトクー!のスタッフです。」と話したら驚いていらっしゃいましたが、「熊本大地震の被災者を応援しようと、昨日は、御船町で、今日は益城町へボランティアでお手伝いに行く所です。また、今回は義援金をお渡しする為に来ました。」と話したら非常に喜んでいただき、出発の際大きく手を振って見送っていただきました。 7:50 益城町ボランティアセンターに到着。 既に、30台程の車が駐車場に止まっていました。 駐車場での車中泊は禁止との事でしたが、恐らく他の場所で車中泊した人達もいらっしゃったのか、車の中にはキャンプ道具一式を車に積み、炊事まで出来る様で、大変な意気込みの方々も多く見られました。
8:30 受付開始。 仕事にあふれる訳には行かないので8:10頃から並ぼうとしましたが、センターのスタッフからまだ並ばないようにとのお話があり8:20から並び直しました。
本日は200名を予定していて、本日迄のボランティア数は延べ13,000名との事。受付は「継続」と「新規」で8:30の時点では「新規」が100名程度、「継続」が80名程度並んでおり、益城町社会福祉協議会が非常に手際良く仕切っていて、受付・説明・活動のマッチングやアサインを行っていました。
本日の作業は、工務店の倉庫兼事務所で、瓦と周りを取り囲んでいたコンクリートのブロック塀の撤去と集積でした。益城町もゴミの集積スケジュールは週5日間で、本日は休みの為運搬作業はありませんでした。 本日も、10名1組で作業を行う事になり、我々5名と他の2名と各1名ずつの3名の計10名。その中の1名は、「継続」でボランティア経験があるとのことでリーダーになって頂きました。 その方は、会社から派遣されて既に1カ月程滞在し、ボランティア活動していて、同僚の女性は3日目との事でした。この会社では、男性は1カ月間、女性は3日間のローテーションでボランティアとして派遣しており、男性は、東京生まれですが、現在の職場は札幌との事。ご苦労さまです。
ボランティアセンターを9:10頃出発、現場に向かいました。
向かう途中の木山地区の通りの両側の被災状況を見たら、一瞬で、寝ぼけ眼の目が覚めるくらいの衝撃を受けました。家屋の倒壊状況は、御舟町や西原村、南阿蘇村以上で、とんでも無い状況。恐らく、復興には1年以上はかかるものと思われます。
9:15 現場に到着。 屋根の上の瓦は既に落とされていて、一部集積のみで、主に半壊状態のコンクリートブロック塀を粉砕し、集積するのが主な仕事でした。 因みに、ボランティアの人達は屋根には絶対に登らない事が規則とのことです。
リーダー曰く、この1カ月間はずっと瓦とブロック塀の撤去と廃棄が主な活動で、今もその作業が中心です。 被災者の多くが、瓦とブロック塀の撤去を順番待ちしている状況ですが、1日200人であれば、最大20軒しか片付か無いので、相当に待っていただく事になると思われます。 今回の現場は住居では無く、ご主人曰く、建物を壊したりする費用は、町からの補助が無いので、突然の出費と嘆いていらっしゃいました。 本日も炎天下で、昨日の疲れも残っていて、私は直ぐに動けなくなってしまいましたが、代わりに他のメンバーが一生懸命、力強く働いてくれました。なれない力仕事は、やはり非常にきつい作業です。
幸いブロック塀の取り壊しと一カ所への集積作業だけだったので、14:30頃には終了しました。 作業中、休憩時間を十分に取れなかったので、終了のあと現場で長めに休憩し、15:00にボランティアセンターに戻りました。 ボランティアセンターで解散し、15:30頃本日の宿泊先である、熊本市内から60キロ以上離れた人吉市へ向かい、16:50 山江温泉ほたるに到着。
復興には相当な時間がかかると思われます。 特に益城町では、瓦礫の撤去を希望している被災者が順番を待っている状態ですので、少なくとも向こう1年間はボランティアの力が必要ではないのでしょうか。 5月24日(火) 本日最終日は、支援金の目録を2ヵ所にお渡しに参ります。 熊本市内で昼食後、13:50 西原村役場に到着。 支援金の目録(25万円)をお渡しし、明日以降銀行振込する旨説明をいたしました。 受領書は振込確認後、郵送いただけるとのことです。
14:50 益城町役場に到着。 こちらでも支援金の目録(50万円)をお渡ししました。 「本日は、最終日ですので帰るのですが、会社内で協議し今後も継続的に支援を続けていく予定です。」と説明し、受領書を受け取りました。
以上、今回の活動は全て無事に終わり、熊本空港へ向かいました。