櫟平ホテル
旅館
福島県
二本松市岳温泉2-8
ロビーは皆様をお出迎えするにふさわしく、天井の高さ等、贅沢に空間を取り入れた自慢のロビーです。雪や桜に新緑、紅葉と四季折々に合わせて楽しめるホテルです。インドアプールもあり、ご家族にもぴったりです。
あだたら高原に夾やかな日が流れ、花の彩いと落ち葉のジュウタンそして白い綿帽子、小鳥たちの囁きがあふれる四季があります。ホテル前の鏡ヶ池にも、水鳥が水面をゆらし、周辺は緑から黄色、そして赤と色鮮やかな景色へと変わります。この心安らぐ大自然のシンフォニーを確かめに、当ホテルにお出かけになりませんか。皆様のお越しを、心よりお待ち申し上げております。
- 住所
- 福島県 二本松市岳温泉2-8
- 駐車場:
- あり
- 周辺情報
-
- 二本松城(霞ヶ城)
- 畠山家墓所(称念寺)
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周辺情報
- 二本松城(霞ヶ城)
- 白河より移封された丹羽光重公は10年の歳月をかけて築城したものです。 戊辰戦争により落城、昭和57年に箕輪門が復元され、苔むした石垣に見事な庭園美にいにしえの昔が偲ばれます。
- 畠山家墓所(称念寺)
- 称念寺には、畠山家累代の墓所があり、累代の墓と「粟の須の戦」で戦死した家臣23人がまつられています。
- 安達ヶ原(岩屋)
- 謡曲・歌舞伎で知られる安達ヶ原(観世寺)には、鬼婆の住家であった岩屋、出刃包丁を洗った血の池などが、今なお残っています。 近くの老杉のねもとには鬼婆の墓「黒塚」があります。
- 将棋の墓
- 正覚寺には、三度の飯より将棋が好きだった丹羽藩の算者(計理)、佐久間庄九郎の将棋の墓があります。 墓石は将棋の王の形、台石は将棋盤、水入れは歩の形になっています。
- 大壇口古戦場
- 戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地です。 隊長はここで戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた青山助之丞・山岡栄治の2勇士の奮戦の地でもあります。
- 原瀬上原遺跡
- 昭和43年に発掘調査を行い、縄文中期(約4500年前)のものと推定される三本柱と複式炉をもつたて穴住居跡が、18軒発見されました。 現在5軒を復元して当時の様子を偲ばせています。
- 大隣寺
- 丹羽家2代長重の開基で、境内には丹羽家累代の墓、お霊屋、二本松少年隊の墓があり、戊辰戦役直後の藩主の謹慎所や藩庁後の仮事務所や藩校にも充てられていました。
- 二本松神社
- 寛永20年、丹羽光重入部に伴い、畠山時代に白旗ヶ峯に鎮座してあったものを城の改築の際、この清地に遷宮し、丹羽家と領民の守護神としました。 二本松神社例大祭として350年の伝統を誇る二本松のちょうちん祭があります。
- 智恵子の生家
- 高村光太郎の「智恵子抄」で知られる智恵子の生家は、その昔、酒店として隆盛を誇っていましたが、今では、軒先の杉玉がその面影を残しています。
- 粟ノ須古戦場
- 伊達政宗が畠山義継に捕らわれた父輝宗を奪還するために戦った古戦場の跡。 奥州の名門畠山家滅亡の原因となりました。
- 供中口古戦場
- 戊辰戦役に、二本松藩の農兵司令士・三浦権太夫義彰は、老兵・農兵、それに少年隊の一部を率いて出陣し、勝敗の帰結のとき、辞世を残して壮烈な自刃をとげました。
- 歴史資料館
- 一階展示場は、絵画・彫刻等、特別展示として、いろいろな企画があります。 二階常設展示場は、市内の遺跡より出土した土器や石器の展示、畠山時代からの美術工芸品や古文書・民俗資料などが展示されています
客室・プラン
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- 櫟平ホテル
- 1室 2名
ポリシー・重要事項
- 築年/改築年
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- チェックイン/チェックアウト
- チェックイン:15時00分 チェックアウト:10時00分
- 補足・注意事項
- ・ペット同伴不可
・飲食物の持込可
・部屋食可(有料2100円・1名につき)
・添い寝幼児施設使用料2100円
・バスタオル300円、タオル200円
レビュー・クチコミ
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0件のクチコミ
- 客室
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- 対応
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- 眺望
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- 環境
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- 食事
- -/5
- 風呂
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施設・設備情報
- 将棋
- 宴会場
- 会議室
- 売店
- 自動販売機
- マッサージ
- 宅配便
- 入湯税
- 大人 150円
- 子供 0円
- 乳児 0円
- 温泉の泉質
- 酸性泉
- 温泉の効能
- 一般的適応症
- アメニティ
- ドライヤー
- シャワーキャップ
- タオル
- バスタオル
- 女性化粧品
- 石鹸
- リンス
- シャンプー
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